全てを救う正義の味方。

正義の定義など存在せず、正義の敵はまた別の正義である。

どちらもが悪であり、どちらもが善である。

ならば、争いの火種を絶やすことでどちらもの命を救うこと。

その行為は端から見れば異常な行為だったろう。

形のある見返りなど求めず、争いを終わらせることを報酬とするようなそんな都合のいい救世主など信じられるわけがないのだ。

 

故に、というか、当然というか、何時からか、争乱や災禍が起こるたび、どこからともなく現れる正義の味方こそがその元凶だと囁かれ始めた。

 

だがそんなことは瑣末なことだ。

俺は人助けができればそれでいい。

我が身よりも他人が大事だという俺を歪んでいるという奴もいたが、それならば歪んだままでよかった。

多くの人を救うことが、俺が生きていてもいいという証だったのだから。

 

決して悪い人生ではなかった。

 

 

 

ただ、それでも、わずかに後悔は残る。

「ちゃんと帰ってくる?」

陽だまりの中の暖かな香り。

懐かしく暖かい日向の匂い。

鼻腔の奥に忘れることなく残るそれは、私の後悔の記憶を呼び覚ます。

 

 

 

それは、磨耗しきった私に残る、数少ない記憶の一つだ。

 

 

 

 

 

 

昼下がりのことである。

私はダラダラと続く河川敷に沿って買い物籠を片手に持ってトボトボと歩いていた。

ピーマンと豚肉と卵(すべて特売だった)これらを買い揃えて速やかに帰るように言われているわけだが果たしてそれでいいのだろうか。

帰ったら帰ったで、掃除、洗濯、そして夕飯の支度、家事全般をやっつけてしまわねばならない。

なぜに弓兵の私が執事のようなことをやらなければならないのか。

立ってるものは親でも使えってね、とうちのマスターは言う。

だからといって、サーヴァントを丁稚のように扱う魔術師など聞いたこともない。

つくづくとんでもないマスターである。

「大体、マイバックで2円節約を必死にやる魔術師など聞いたことないぞ」

ちなみにマイバックとは時代遅れの編み籠のことで、それにはデカデカとTの文字が縫い込まれており、わかる人にはどこの子かわかる仕様になっていたりする。

どこまでも自己顕示欲の強い一族だった。

「間違いなくご近所の噂話になるな・・・・・・」

未成年の少女の家に若い男が出入りしているのだから、暇を持て余しているご近所の奥様のいいネタになることは間違いないだろう。

学校にまで噂が飛び火した時にマスターはどのような取り乱し方をするのか、そんなことを考えると少し愉快にもなる。

こうなればいろいろと人の目に付くように、道草でもくってゆっくり帰ってやろうと思っていた矢先、

「ん?」

川辺にたむろして騒いでいる複数の子供達が目にとまった。

子供達は一様に川に向って石を投げ込んでいるが、川の中腹にも届いていない。

この未遠川は冬木市で一番大きな主要河川であるし、深さはともかく川幅は相当なものだから、子供の腕力ではたとえ水切り投げをしても向こう岸までは届くわけもない。

休日の昼下がりである、冬とはいえさして珍しい光景ではないのだが、

「なんというか、無邪気な話だな」

子供達が一心不乱に投げている先には小さなダンボールがあった。

どうやら、川底の何かにでも引っかかっているらしく流れに逆らってユラユラと停滞しているのがいい的に見えるらしい。

いい的があれば当てたくもなる、その気持ちはわからないでもないが(私が弓兵だとかそういうのは関係なく)さすがに見過ごせないものがあった。

「にゃぁ・・・・・・・・・」

人よりも数十倍に鋭敏な私の視聴覚が、ダンボールの中のものを明確に捉えてしまったのだ。

一匹の子猫が、にゃーにゃーというのんきな声を上げている。

「さて、どうしたものか」

助けるのはやぶさかではないが、その後どうしたものだろうか。

この身は夢幻のようなものだ。

人間ではないのだから当然だが、役が終われば煙と消えてなくなってしまう。

そんなものが気まぐれで救いの手など差し出すべきではない。

それに、最後の最後で、マスター猫を頼む、とか流石にいえないし。

あー、しかもあれは三毛猫の雄だな、三毛猫の雄は希少で一部マニアに大人気だ。

「売る、間違いなく」

動物愛護団体と魔術師協会の戦争に発展しそうなのでやはりマスターに託すのは間違いだろう。

「・・・・・・・・・」

しばし黙考。

どうも見なかったことにして立ち去ったほうが一番よさそうなのだが――そうもいくまい。

「あー!?猫いじめてる!」

そう、やはりいじめはよくない。

「ちょっと!お兄さんどいて!」

「うぉっ!」

後ろから押しのけられて思わず私は声を上げてしまった。

まさか背後を容易に取られるとは思わなかったのだ。

「とっちめてやらないと」

押しのけられながら、私の目に飛び込んできたのは、虎柄のティーシャツに草色ワンピースの女性の横顔だった。

その横顔を見た瞬間、遠く忘れていた匂いを思い出す。

暖かな香り。

いかに磨耗しても、眩しすぎて目に焼きついた光景や、あまりに似合い過ぎて耳に残った響きが忘れられなかったことと同じ、この日向のような懐かしい匂いもまた自分にとって忘れることのできないものだったのだ。

私は彼女を知っていた。

「待ちたまえ」

溜息混じりにその後ろ襟を掴んで制止する。予想以上に軽かったために後ろ襟を掴んで持ち上げてしまった。

「きゃあっ!?」

「意外と普通の反応だな」

か細い悲鳴を上げるので、いささかビックリする。

ひどく不気味な感じだ。

咆哮としか思えぬ悲鳴は聞いたことはあるが、女らしい悲鳴も上げれるらしい。

「あなた何!?いきなり後ろを取るなんて卑怯よ!」

「いや、だからだね」

「とにかく離しなさい。あの子達を止めないと」

宙ぶらりんにされながらも懸命にジタバタと暴れているのは、もちろん藤村大河である。

私は、飛んでくる手や足をヒラヒラと器用にかわしながら、素知らぬ顔で河川の子供達の方を向いた。

こちらは結構騒いでいるはずだが、距離があるのか石当てゲームがそんなに面白いのか大半の子供はこちらに気づいていないようだった。

一部気づいてこちらを振り返った数名も、痴話喧嘩か何かとでも思ったのだろう、すぐに興味をなくし他の子供達の輪に戻っていた。

「まぁ、落ち着きたまえ」

「落ち着けるかー!そもそも、外人の人じゃなかったの?アイキャンノットスピークジャパニーズ?」

私は日本語を話せませんか、といわれても困るわけだが。英語教師とはとても思えない。

「君、外人の人、というのはおかしくないか?」

「ハッ!?白昼堂々あなた痴漢の人?変態?」

「痴漢の人、というのも日本語としておかしいぞ。あっ、大丈夫だ。私は君を止めたいだけだからな」

「つまり悪者?」

「ただの通りすがりだ・・・・・・とりあえずだ、手を離すと君このままあの子達に怒鳴り込むんだろ?」

「当然よ!だから離しなさい。いっとくけど、怒ると私は怖いわよ?」

そう言って彼女は、シュッシュ、とシャドーボクシングのようなことを始めだした。

しかし、吊り上げられた状態でそのようなことをやっても間抜けなだけである。

「君が急に怒鳴り込んだら、子供が驚いて川に落ちるかもしれないだろう」

「ふふふ、聞いて驚きなさい。冬木の虎とは借りの姿―――へ?」

「見てみたまえ、川辺が綺麗に整地されているからあんなギリギリまで寄っている子もいるじゃないか」

今日の未遠川は穏やかでそんなに危険なものではなかったと思うが、冬の川は冷たいし流れは意外と速いようだったので子供が落ちるのはあまりいただけない。

こちらの言わんとしていることが伝わったらしく、虎は元気な返事を上げた。

「お兄さんの言わんとしていることはわかったから、突撃はやめて、優しく声をかけてくるわ!」

「あぁ、ぜひそうしてくれ」

と、

『あぁっ!』

ひときわ大きな声が子供達のほうから聞こえた。

「!?」

もしや本当に子供が落ちたかと思ったがそうではなかった。子供達は一様に川の方を見て騒いでいる。

私が彼女とバカなことをしている間に、ダンボールがひっくり返っていたのだった。

まさか子供の石が当たったわけでもあるまい、運悪く流木みたいなものでも当たったのだろうが子供達は予想外の展開に慌てふためいていた。

とはいえ、川に飛び込むような蛮勇を披露する子供はいない。

居るとすれば、

「うぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」

藤村大河くらいのものだろう。

彼女は、いつの間にか私の腕を振り払って転がるように河川へと猛ダッシュしていた。

「おかしいな。力を抜いたつもりはないのだが」

奥襟を握った形のままになっている拳を開き、そして握りなおす。

「火事場のなんとやらなのかな」

呆れ半分、感心半分、私は少しだけ肺の中に空気を入れると、文字通り目にも留まらぬ速さで駆け出し、瞬く間に彼女の横を通り過ぎる。

「少し持っていてくれ」

その際に、彼女の方へ買い物籠をラグビーのパスのように放ってよこす。

「へっ・・・・・・・・・きゃうっ!」

背後で派手に転倒したような声が聞こえたが、まぁ、気にしない。

そのままの勢いで川辺を蹴り跳躍した。

弾丸のようにはね飛ぶ私を見てだろう、おぉ、とわずかな小学生のどよめきが聞こえる。

私はそれを気にすることなく、中空を滑空しひとっ飛びで河川の中頃まで来ると溺れる猫をつかみ上げた。その際、水しぶきで着込んだスーツが濡れる。

「まずいっ・・・」

今着込んでいるスーツはマスターからの支給品である。汚すわけにはいかないのだが。

「にゃん♪」

「うぐっ!?」

子猫はそんなことにお構いなく体を揺すって飛沫を上げている。

(今はあまり考えないようにしよう・・・・・・)

想像すると怖いことになりそうなので、見なかったことにしながら水面を蹴る。

蹴り足に込めた魔力は水面を硬化させ十分に踏み台の役目を果たしてくれた。

「さすがに、地面ほどではないな」

さほどの安定感はないまでも、水面を踏み抜いた私はさきほどと同じくらいの高さに跳躍し、元の川辺へと瞬く間に降り立った。

「にゃんにゃん♪」

寒いのか、ただはしゃいでいるのか、掴んだままの猫は未だに飛沫を上げている。

「・・・・・・・・・猫よ。もう好きにしてくれ」

おかげでスーツは大変なことになっていた。

「ちょっと!」

私が赤い悪魔への対抗手段を考えていると、無粋な声がそれを許してはくれなかった。

見やれば、なんだか勢いよく転倒して泥だらけになってしまったような姿の藤村大河が大股でこちらに向いながら怒鳴っている。

「ひどいじゃない!なんだかもうもみくちゃに転倒してバターになるかと思ったわよ」

「ふむ、それだけ元気なら大丈夫だな。あっ、買い物籠はちゃんと確保してくれているようだね」

「あっ、そうだった。はいどうぞ、って違う!?あのね。男の子は女の子に優しくしないといけないのよ」

「あー、はいはい、どこかの爺さんがそんなこと言ってたけど、君、女の子っていうには少々ずうずうしくないかい?」

「きぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

差し出された買い物籠を丁重に受け取り、代わりに持っていた子猫を押し付けるように渡した。

「わっ、ちべたい!」

「拭いて暖めてやってくれ。子猫に冬の水温は少しきついかも知れないからね」

「わわ、本当に冷たい。こりゃ大変だ」

彼女はその場に座り込むとポケットからハンカチを取り出して丁寧に子猫の体を拭き始めた。もちろん、そんなものでは拭き取れるわけでもなく、ワンピースやTシャツの袖を使って毛についた水分を吸ってやりながら抱きしめるようにして暖めてやってもいる。

「すまないね。服が毛だらけになってしまうんじゃないか?」

「いいわよー。そんな高そうなスーツを汚すわけにもいかないでしょう。おーよちよち」

「もう汚れているんだがね・・・・・・」

同じネコ科だからなのか思ったよりも丁寧な扱いをしている。そして、私への怒りは子猫によってすっかり霧散してしまったようだ。

「あの・・・・・・」

「・・・・・・」

その光景をもう少し見ていたかったが、遠間からの呼びかけに私はそちらを向いた。

目に入ったのはさきほどの子供達の一団である。

意外なことに誰も逃げ帰っていないようだった。

「ネコは大丈夫だよ。君達ももう帰りなさい」

代表らしい先頭の男の子に割と優しく声をかける。

「でも・・・・・・」

「いいからいいから」

何か罪悪感のようなものが伝播してしまっているのか、彼らは一様に暗い顔をしており、誰もその場を動こうとしない。

猫も無事だったことだし、これ以上子供達がここにいてもしょうがない。これ以上ややこしいことにならないように解散させたかったのだが、

「ちょっと、お兄さん。勝手にまとめないでくれる?」

時すでに遅かったらしい。

「特にこれ以上引っ張ることでもないだろう」

振り返ると、藤村大河が胸元に子猫を収めて立っていた。その表情はどこか呆れたような顔をしている。

「みー・・・・・・」

ちなみに、子猫は顔と前足だけをちょこんと出して元気よくキョロキョロしている。

「ダメだよおにいさん。大人がやらないといけないことがまだあるでしょう」

「・・・・・・そうだな…・・・だが、こういったことは君に一日の長がある、後は君に任せよう。」

「?」

教師である彼女の方がお説教をするには向いていると思っての発言だったが、彼女は何故か不思議そうな表情をのぞかせてた。

「何かね?」

思わず質問する。

「いや、お兄さんが何言ってるのかわかんなかったから・・・まぁ、いいや」

私は君が何をしたいのかがよくわからないが、と言いかけたのを飲み込み、とりあえず彼女の動向を見守ることにする。

藤村大河は、私の横を通り過ぎると子供達の前までスタスタと歩いていった。そして、私とさきほど話していた男の子の前に来ると、視線を合わせるようにしゃがんで話し始める。

「ほら、君達」

子供達は怒られると思ったのだろう、一様に体をこわばらせた。

「猫ちゃんに悪いことしたと思ってる?」

「・・・・・・・・・」

おずおずとうなずく子供達。

それを見終わり、彼女は、ヨシヨシとうなずき返すと子供達の前に子猫をズイッと突き出した。

「?」

私も子供達もその突然の行動をどう受け取ってよいかわからずにいると、

「じゃあ、仲直りの印に頭を撫でてあげなさい」

なんていうことを彼女はさらりと言い放った。

「ほらほら、まずは君から」

「えっ?えっ?・・・・・・」

「優しく撫でてあげればいいよ。そしたらこの子も許してくれるから」

「あっ・・・・えっ、うん」

標的にされた子供は最初面食らって躊躇していたようだが、アホみたいな笑顔の押しに負けたらしく、恐る恐る、子猫の頭に手をのせた。

恐るべし、タイガースマイル。

いや、本当に恐れ入っているのは、子供達よりに私の方なのだろうが。

「ミィ・・・・・・」

子猫は気持ちよさそうに目を細めて小さく鳴いたようだった。

『わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ』

それに反応するような子供達の歓声。

後は簡単だった。

先ほどまでの雰囲気が嘘のように、子供達はわれもわれもと子猫の頭を撫でようと寄ってくる。

「ほらほら、そんな急にみんなできたら猫ちゃんもビックリするでしょ。順番順番」

『はーい』

「よーし、じゃあ、ならべー」

昼下がりの河川敷は、あっという間に子猫と戯れる場所になってしまっていた。

「なんとも鮮やかだね」

「ん?」

「いや、なんでもない」

私では到底できないことを彼女は当たり前のようにあっさりやってしまう。

 

 

ひとしきり猫と戯れた子供達が帰路についたのは、太陽が大分傾いた夕方のことだった。

「バイバーイ」

最後の子供の背にひとしきり手を振ると、

「うーん、全員ペット駄目だったかぁ」

「しょうがないだろう。欲しいと言う子はいたが、聞けば全員同じ団地住まいらしいからな」

「うぅ、ペット禁止ってなんだか辛いわね」

それはつまり君が衛宮家のペットだからか、とはさすがにいえない。

子猫を撫でながら彼女は唇を尖らせていた。

「しかし、困ったな。お兄さんは無理なんだよね?」

「あぁ、申し訳ないが私は旅行者でね。この街もたまたま来ているだけなんだ」

「うぅ、買い物籠なんか持ってるくせにぃ」

「さっきも言ったろう、知人に買い物を頼まれただけだと」

そういえば、卵とか無事だろうか。

「とにかく、助けた以上は最後まで面倒を見るべきだな」

「うぅ、そんなこと言ってもうちは無理だし」

「まぁ、がんばりたまえ」

「ちょっとまてーい!」

そそくさと去ろうとしたが、ガッチリ後ろから肩を掴まれて呼び止められる。

「お兄さん!あなたも助けたうちの一人でしょう!?」

ズズイ、と子猫を突き出しながら前に回りこんでくる。

「私は助けていない。子猫が勝手に助かっただけだ」

「うわ!?なにそれ?かっこいいつもり?アニメとかの見過ぎだよお兄さん」

「不名誉なことをいうな!」

かっこいいことを言って逃げる積もりだったが無理だったようだ。

難しいものだな、後腐れなく去るというのも。

「では、このまま野生に帰すかね?」

「いや、無理でしょ?どう見ても生後二ヶ月くらいよ」

「ほぅ、詳しいな」

「んー、士郎、あー、隣に住んでる男の子なんだけどね。よく捨て犬捨て猫を拾ってきてたのよ。その度に里親を見つけるのは大変だったわ」

「それはすまなかったね・・・・・・」

「?・・・・・・」

「いや、なんでもない」

うむ、若気の至りというのは誰にでもあるものだ。

 

とにかく、一緒に飼い主を探すということでお互いに妥協した。

かくして、我々は夜の街へと姿を変え始めた冬木市を子猫の里親探しに奔走するのである。

 

第一候補

「オトコー。ネコ飼ってよネコ。おんなじネコでしょ。ねっ?オトコ」

「藤村・・・・・・何度も言うが、私をオトコと呼ぶんじゃねぇ。そして、ネコは飼わない」

「なにさ!ネコの癖にネコを見捨てるって言うの?」

「あんたネコ科でしょうが。学名的には。あんたが面倒見るのが筋でしょう」

「タイガーっていうなくらぁぁぁぁぁぁ」

「あんたもいいかげんオトコっていうのはやめんかぁぁぁぁぁぁ」

やはりというか、案の定というか交渉は決裂した。

 

第二候補

「レイカンくーん」

「あら?藤村先生。いつも主人がお世話になっております」

「あっ、葛木先生の奥さん。こんにちは。レイカンくん居ますか?」

「すみません。零観さんでしたら、京都の方に所用で出られているんですよ」

「ありゃりゃ」

「何か御用でしたか?」

「いえ、寺に猫は付き物かと思って」

「ふっ、たしかに魔女に猫は付き物ではあるな」

「あらあら、誰かと思えば・・・・・・なんのことかしら?」

「古来より、そんなものであろう?」

「ほほほ、私はピチピチの新妻でしてよ?」

「?・・・・・・お知り合いなんですか?」

『いや、ぜんぜん』

もちろん決裂。

 

第三候補

「まぁ、可愛い猫ちゃんだこと」

「でしょでしょ。シスター。ねっ、よかったらここの教会で引き取ってくれないかな?」

「構いませんよ」

「ほんと!?」

「えぇ、ちょうど今晩のおかずが一品足りないなって思っていましたし」

「いやー、さすが聖職・・・者・・え?・・・・」

「ランサー。ギルガメッシュ。よかったわね。お夕食にお肉が入るわよ」

『ちょっ!?』

「あら?貴方達が言ったんじゃない。俺たちは草食動物じゃないんだぞ、と」

「いやいや、そうは言ったがよ。なんだ?その新手の嫌がらせは!」

「嫌がらせなんて。私は貴方達にひもじい思いをさせたくないだけよ」

「嫌がらせだ。絶対嫌がらせだよね。マスター」

「ウフフフフフ、育ち盛りの子供がいるって大変だわ」

「・・・・・・失礼しました」

およそ、一番来てはいけないところでは無いだろうか。

 

第四候補

「ミケにゃ!そいつはミケ猫にゃ!?」

「えーと」

「しっ!しっ!いかに大河のお願いでもミケ猫は二十七キャッツに入れるわけにはいかないにゃ。理解したか?」

「えー!?」

「ふふふ、アドモアゼル。私の中でならその珍しい品種。受け入れてやりますぜぃ」

「むむ、あちしのパチ猫!?」

「我が同胞666667になる。それだけのこと」

「えー・・・・・・・・・謹んで辞退します」

「にゃにぃぃぃぃぃ!?」

何故こいつらに任そうとしたのか私には理解できない。

 

 

結局、一軒一軒民家を回ることになった。

「あら?藤村先生。こんばんは」

「おー、藤村じゃん。猫?いや、うちは無理だね」

「げっ、藤村先生!?はい、すいません。もう帰ります――へ?猫ですか?」

「大河ちゃん。これ持って行きなさい」

エトセトラエトセトラ・・・・・・行くところ行くところで、藤村大河は誰にでも声をかけられた。

もしかしたら冬木市の人々でこの教師を知らない人間はいないのではないか、そう錯覚できるほどの数だった。

そして、誰もが親しみを持っている。

(あぁ・・・・・・そうだ)

そう、こんなヒトだった。

私の誰よりも大切な――姉であり、母のようだった藤村大河というヒトは。

 

 

「いやー、猫ちゃんの里親も決まったし安心だ」

「まったく、ただ買い物に出ただけなのになぜこんなことになったのやら」

「あはは、お兄さん運が悪かったかな?」

夜道はさすがに危ないと、家の近くまで送ることになっていた。

彼女は必要ないと言ったが、私が強引にそうしたのである。

どうやら彼女に対して、無意識に過保護になっているようだった。

(いや、負い目があるせいか・・・)

まだずっと先のこと、かつての私が彼女を悲しませてしまうことを知っているから。

帰ってくるとだけ言い残し、結局帰ってくることがなかった私。

誰も帰ってこない家を、もぬけの殻の屋敷を、悲しげに見つめ続けていたかもしれない彼女を思うと口の中に嫌な味が残る。

もう取り返しなどつかないのに。

やり直しなど、あるわけもないのに。

「あのさ。お兄さん」

「ん?」

「今更だけどさ。どっかであったことない?」

歩きながら、こちらの顔を見上げて、彼女。

「いや、初対面だ。そもそも、この街に来たのは最近で初めてだしな」

よそ見して歩くな、と付け足しながらそっけなく即座に答えた。嘘はついていない。

しかし、彼女は納得しなかったようだった。

「うーんそっかなぁ」

「君の記憶違いだろう。私は君の顔などまったく認識がないからな」

「いや、顔というか、雰囲気が誰かに似てる感じなのよ」

「ふむ、しかし、私に似ている人間などそうそういるとも思えんがね」

「そうなのよねぇ。私も、褐色白髪なんて知り合いがいたら忘れるわけないんだけど・・・・・・」

なんでかしら、と首をかしげながら、マジマジとこちらを見上げている。

おそらく、馴染みの少年と重ねる部分があるのだろうが、気づくことは無いだろう。

少年と私は同じでありながら違うものになってしまっているのだから。

それに、私が彼女を見下ろすようになる頃は、ほとんど顔を合わせることもなくなっていた。

当時の私は、どうしても日常に立ち返らせられてしまう藤村大河というキーをできるだけ遠ざけたかったのだろう。

(・・・・・・違うか、母親に怒られるのが怖くて、隠れてしまう子供のようなもの、かな)

帰ってくる。ちゃんと帰ってくる。無事に帰ってくる。一方的な約束だけが取り付けられた。

結局、守ることのできなかった約束だけを遺して、私は彼女を傷つけただけだろう。

全てを救うと息巻いていた私。

全てを救えると信じていた私。

しかし、誰よりも大切にしなければならなかった人を傷つけた私。

そして、全てを救うどころか、大切な一人を悲しませた私。

「・・・・・・・・・」

そんな私が、爺さんのような全てを救う正義の味方になれたわけが無い。

「あっ、そっか!」

と、私が物思いにふけっていると、隣で藤村大河が声を上げた。

「わかった!お兄さん、似てるのよ!」

「うん?」

一瞬、なんのことか分からずに生返事を返す。

たしか、何かに似てるとかなんとか・・・・・・

「私の初恋の人に似てるわ!」

「……ハツコイのヒト、だと?」

「うん、そう・・・・・・にはははは」

虎がハニカミ笑いをしていた。

自分で言って恥ずかしかったのだろう。人それを自爆というが・・・おい、藤ねぇ、顔赤らめるんじゃない!気味悪いから。

意外なリアクションに、さきほどまでシリアスなことを考えていた私の思考は停止していた。

そのかわりに、こんなのは藤ねぇじゃねーと磨耗している俺が叫んでいる。

「でも、変よね。お兄さんはたしかにかっこいいけど、まるっきり似てないの。なんで似てるって思うのかしら?」

自分で言っておきながら、彼女は首をかしげている。

初恋の人ということだから、どうせ保父さんかなんかを思い浮かべているのだろうが、自分の発言には責任を持って欲しい。

マジマジとさきほど以上にこちらを見つめる藤村大河。

「あー、なんだ、そんなに見つめるんじゃない」

「だってだって、暗いからよく見ないとわかんないんだもん。お兄さん黒いから同化してるんだもん」

「保護色みたいに言わないでもらおう」

「・・・・・・雰囲気、うん。なんかやっぱり似ているのはそれね」

「おーい」

俺のツッコミは無視された。

「顔なんかは特にお兄さんには申し訳ないけど、勝てる要素ないもの」

ひどい言われようである。

「まぁ、思い出は美化されるものだしな」

「そんなことないわ!絶対にお兄さんの三倍はかっこよかったもの!」

「三倍ってな・・・」

キラキラと両目を輝かせて彼女。

それは夢見る少女のようである。

頼むからそんなキャラにないことはしないでほしい。

(しかし、藤ねぇの初恋相手って誰なんだろ?)

俺と彼女が初めて出会ったのは、彼女が高校生のころだったと思う。

よく喧嘩ばかりしていたことを覚えている。

(なんでか、いつも俺が泣かせていたんだよなぁ)

そう、彼女は泣き虫だった。

剣道もやっていたし、体格的にもまだまだ俺が小さかった頃だ。それでも取っ組み合いの喧嘩をすれば決まって泣くのは彼女だった。

(そうそう、そして爺さんに怒られるんだ。俺は)

女の子には優しくしなさい、よくそう言われてゲンコツを食らったものだ。

(・・・・・・爺さんが死んでからか、藤ねぇが泣かなくなったのは)

藤ねぇは爺さんが好きだった。

そんな爺さんが死んだ時、俺は間違いなく藤ねぇは泣きじゃくるだろうと思った。だから俺がしっかりしないといけないと思った。

(・・・・・・でも)

葬式の日に泣いていたのは俺のほうだった。泣いて泣いて、泣きじゃくったのは俺のほうだった。

藤ねぇは泣くこともなく黙って、俺の手を握っているだけだった。

お姉ちゃんが一緒にいるから大丈夫だよ、そう言われたような気がした。

だからか、あれから、藤ねぇが泣き顔を俺にむけたことはほとんど無い。

(というより、覚えていないな。覚えているのは笑顔だけだ)

それが、どれだけありがたいことであるか、当時の俺はわかっていたのだろうか。

改めて横にいる彼女を見る。楽しそうに件の初恋の話をしている。

そんな彼女に、今の俺があるのは、ブレず、曲がらず、夢を追い続けられたのは貴方のおかげであると、言えればどんなにいいだろうか。

(世界のシステムとなった私に、それを言う資格は、もうない)

あるわけがない――

「まぁ、聞いてよお兄さん。高校のころに隣に引っ越してきた人なんだけどさ」

(ん?)

たしか、初恋の話だったと思うが、突然路線が変わったのだろうか。

「お爺ちゃんに挨拶行って来いっていわれてシブシブいったのよ。そしたらまぁ、体に電気が走ったわけ」

「はぁ?」

「一目見た瞬間っていうのかなぁ。一目ぼれで初恋ってなんか良くない?まぁ、子持ちだったんだけどね」

「・・・・・・それは・・・・・・まぁ、不倫はあまりオススメできないぞ」

「いやいや、奥さんはなんかすでに亡くなってて男寡婦ってやつだったのよ。渋くてかっこよかったのよねぇ」

「・・・・・・・・・」

初恋の人、一番最初に好きになった異性、隣に引っ越してきた子持ちの男に一目ぼれで初恋。

(って、爺さんのことかよ!)

あれのどこがかっこいいんだ?

しかし、何より思うことは、

「・・・・・・その、だいぶ遅い初恋だな。私はてっきり保父さんあたりを想像していた」

「あっ、私、幼稚園系は言ってないの、おじいちゃんと組の若い人たちに遊んでもらってたから」

「何か物騒な感じだな」

しかし、そうか、爺さんに惚れていたのは知っていたが、それが初恋か。

何百年かごしに真実を知ってしまった。

(それだけ初恋が遅かったら、たしかに恋愛経験も少ないだろうな)

よく女生徒の恋愛相談にどう答えたらいいかわからずに苦しんでいたのを思い出す。

(ん?だが・・・・・・待てよ)

私ははたとあることに気づいた。

私に似ているという初恋の人。

それはつまり、

「顔も背格好も違うけど、うん、お兄さんはキリツグさんって人にとっても似ていると思うわ」

うれしそうに、冬木の虎はそんなことを口にした。

「・・・」

私は、何か言おうとして、しかし言葉が出なかった。

爺さんのようになりたくて、しかし、私はなれなかった。そう思っていた。

でも、彼女は似ていると言ってくれた。

違う存在になってしまったはずなのに。

まったく違う存在になってしまったというのに。

それでも、姉であり、母のような彼女は、そう言ってくれた。

 

 

あぁ、貴方は、本当に、昔も今も、どこでもいつだって、俺が一番うれしいものをくれるんだな。

 

 

 

結局、お互い名乗ることはせずに別れた。

そのほうがロマンチックだろう、というと、キザなところもなんだか似てる、と半眼で睨まれた。

別れ際に、結果的に私を引っ張りまわしたということで何かお詫びををしたいと言うので、

「そうだな。偶然、今度どこかで出会うことがあったら、その時にお茶でも奢ってもらうとしよう」

そう言った私に、やっぱりキザだ、と彼女は言った。

 

 

それから、

「ただいま」

遠坂邸に帰ると、赤い悪魔が笑顔で玄関に仁王立ちになっていた。目の錯覚か、彼女の背後の大気が歪んで見える。

かくして、私の幸せだった一時は終わりを告げた。

 

 

◆      ◆      ◆

 

 

「藤ねぇ。どうしたんだ?親父の写真なんか出して」

「んー、さっき話したでしょ?今日、猫の里親を一緒に探してくれた人がなんとなく切継さんに似てたって」

「あー、なんかそんなこといってたな」

「やっぱ顔はまったく似てないわ」

「なんだよそれ・・・・・・・・・て、なんだ?」

「・・・・・・あんたもいつか切継さんみたいになるのかなって思ってね」

「まぁ、そりゃ、俺は――」

「親父みたいな正義の味方になる、でしょ?」

「そう。親父との約束だしな」

「・・・・・・・・・そうよねぇ」

「どした?」

「ん?なんでもない・・・・・・・・・」

「大丈夫だよ」

「へっ?」

「なんか心配みたいだけどさ。俺はちゃんと帰ってくるから」

「・・・・・・・・・うん、よろしい」

 

それは何度もかわされた。そして、これから何度もかわされる約束。

 

 

 

いつか少年は去り。

いつかこの当たり前の日々は終わる。

少年が進むのは誰も成し遂げることのできない茨の路。

傷つきながら、血を吐きながら、さまざまな挫折と後悔を繰り返しながら、それでも彼の歩は止まることはない。

なぜなら――

「帰ってくる」

彼には帰るところがあるのだから。

 

 

inserted by FC2 system